演歌のメッカ押上

「押上」は演歌の原点である。作詞家 石本美由紀のコトバである。「あこがれのハワイ航路」 「悲しい酒」 「矢切り渡し」などの名作を世に送り出した、正統派の詩人である。石本は岡山県の生まれ、一念発起して上京、押上のせんべい屋の二階に下宿する。

演歌の世界では、押上に住むと、大成するという伝説がある。
昭和10年代、岡春夫と上原げんと(作曲家)が、押上に下宿していた。岡春夫は上野の松坂屋のネクタイ売り場につとめていたが、上原は流しでギターをひいていた。相棒の青年が風邪で休業、ピンチヒッターとして岡晴夫とコンビを組む。

銀座を流していた時、東海林太郎に認められて、キング・レコードの専属となる。デビュー曲は上原げんとの作曲で「赤い夕日は砂漠の果てに」。 かくて、天下晴れて岡・上原コンビが誕生する。

戦後、石本は「長崎のザボン売り」でデビュー、「東京の空青い空」「バラを召しませ」「港十三番地」で大ヒット。まさに「押上は演歌の原点」なのである。
(敬称略)

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