握り鮨は何故二切れずつ出すの?
握り鮨の発祥は墨田
今、回転鮨があたり前になっていますが、握り鮨の発祥は
墨田区なんです。考えた人は小泉与兵衛さん。チャキチャキの
江戸っ子です。はじめ蔵前の札差、板倉屋の手代をしていましたが
道楽がすぎて奉公を終えたときは無一文という有様。
当時、鮨というと大阪風の押し鮨ばかりで、注文したら即座に
「ヘイ、お待ち!!」とはいかない。そこに与兵衛さんは目を
つけたんですね。道楽のタマモノでしょう。えり抜きの白米を
ほどよく炊いてキュッと握ってしめる。さらに涙のこぼれそうな
摺りワサビをおいて、その上に江戸前の分厚いネタをのせる。
これをお客がつまんで、醤油をつけてパクッとやって
「こいつはオツだ」という次第。特に当時ゼイタクといわれていた
山本山のお茶をアガリに使ったので、江戸っ子の人気をよんだ。
はじめは裏店でしたが文政7年(1824年)本所・元町
(今の両国2丁目)に大店を開くことになります。
人斬れ、身切れでは物騒
ところで、鮨は必ず「二切れ」ずつだしますが、「一切れ」や
「三切れ」では「人斬れ」「身斬れ」に通じて物騒だという。知ってた?
この「与兵衛鮨」は惜しまれて昭和6年に廃業しています。
今、業平橋に「与兵衛鮨」がありますが、これは「与兵衛さん」に
あやかったものだそうです。