京成電鉄 白髭線


京成電鉄に「白髭線」というのがあったのをご存知だろうか。
現在は、「京成・曳舟」の次は「八広」ですが、昔はこの2つの駅の
中間に「向島」という駅がありました。この「向島」から白髭橋の」
たもとまでの1.4キロ区間を運行していましたが、開業してから
わずか8年で消えてしまいました。昭和3年に開業して昭和11年に
短い一生を終えています。「向島」を基点に、「長浦」「玉の井」
「白髭」の4駅しかありませんでした。終点の白髭駅までの
所要時間が4分。歩いても15分程度ですから大人の利用者は
あるはずもありませんでした。
何故こんな中途半端な路線になったんでしょうか。京成電鉄では
白鬚橋を渡って、「三ノ輪橋」(王子電鉄・現在の都電・荒川線)への
接続を狙っていたようです。同社は、昭和8年、日暮里駅と
上野駅の間を開通させ悲願だった都心への接続を果たせたのです。
この時期を境に主要路線だった京成・押上線は支線になり、更に
その支線だった「白髭線」の存在が無意味になってしまったと
云われています。
廃線の年、作家長井家風は「墨東綺譚」の中でこう書いています。
「線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋の架かった
土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で
崩れかかった石段の上には取り払われた玉ノ井停車場の跡が雑草に
被われて此方から見ると城跡のような趣をなしている。」

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